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失った命がつなぐもの

私には忘れられない猫がいます。
東日本大震災後の福島。
毎週のように通っていた浪江とは別に、なかなかボランティアさんが行けていない場所「広野町」に行った時のことです。
餓死なのか車に轢かれたのかわからないぐらい損壊した猫の死骸が残る道路を抜けた先に、車を停めて残された猫達を探します。生き物の気配がほとんど無い土地で、私は一匹の猫の後ろ姿を見つけました。
振り返ることなんてなくどんどん無人の住宅街に走っていきます。その体は、今まで見たことがないくらいペシャンコでした。
ご飯を探しているんじゃないの?
お水が飲みたいんじゃないの?
なんで逃げていくの?
そう思って、どんどん離れていく猫に呼びかけます。
足早に逃げるように去っていく猫を追いかけて、どこまでもどこまでも。
 お願いだから止まって、振り向いて欲しい。
 そしたら、ご飯と水があることがわかるから。
私の望みも空しく、その子はがれきだらけの住宅地に姿を消しました。
あちこちにご飯と水を置いて、食べて飲んで生き抜いて欲しい。
それしかできない無念さと悲しさを、今でもずっと覚えています。

震災の時、福島に取り残された動物はたくさんいます。そして、戻って来た住民の方達はきっとこう思ったことでしょう。
 あの時この子と離れなければ良かった。
 どんなことがあっても一緒に連れて行けば良かった。
 自分もここに留まれば良かった。

共に生き、心の支えだった動物達を失うことは、人が生きていく力さえも奪うことがありました。
何年も後悔と悲しみを抱えて生きている被災者の方々に、どうかご自分を責めないで欲しいと強く願います。
その失われた命はとても意味のあるもので、動物との避難手段や避難所開設に繋がっています。
災害で人と同様に動物も生き残れる世の中を作っていくことは、これからの私たちの目標でもあります。

当時の福島県浪江町に置かれた給餌器で、ご飯を食べる猫達。