治療の甲斐もなく、ちびはずっと寝たきりになり、起き上がることができなくなりました。
お水やご飯が欲しい時は、頭上に置いてある陶器の器をコンコンと手で叩いて合図してくれます。ウェットは上澄み液を舐めるだけだったし、お水はシリンジで口に入れてあげるだけでしたが、それでもこの合図は、目もほとんど見えなくなったちびとの唯一のコミュニケーションとなりました。
その子の性格によるのでしょうか。寝たきりなのに、ちびは最後までトイレをペットシーツの上ですることはありませんでした。
目を離している隙にどうやって動いたのか、トイレの横で力尽きて倒れていることがよくありました。トイレの外ですることはなく、中に置いてあげるとちゃんとそこでしてくれました。
この頃から足腰が立たなくなりました。
自力でお水を飲むちび。
ちびの命がそう長くないとわかり始めてから、「ちびにしてあげられることは、延ばさずに今日すべてやろう」と決めました。
しかし、ちびの辛そうな姿を見る度に、いったいどこまでやってあげるべきなんだろう?と悩むこともありました。
老猫の看病をしている時に最優先することは「緩和治療」です。できる限り痛みや苦しみを取り除いてあげたいと常に思っています。しかし今回、言葉が話せない猫にとって緩和治療とは人間の想像内の話であって、実際できているかどうかの判断はとても難しいことだと感じました。
ちびのようになってしまったら、一日一日生き延びることが苦しいのではないか?
だからと言って途中で点滴をやめるのか?投薬をやめるのか?
そんなことはできるはずがないのです。
そうであれば、私たちは専門家の話を聞いて、緩和と思われる治療をしながら、苦しむ猫達に寄添っていくことしかできないのだと、最期まで苦しむ姿から決して目をそらさずに傍らにいてあげること、それしかできないのだと実感しました。
やせ細ってしまったちび。
なでると気持ち良さそうにしてくれました。
ありがとう。
ちびが逝く日、私は夜勤の仕事が始まり、朝帰宅しました。1時間だけ仮眠してちびが寝ているソファに行き、横に座りました。しばらくすると、珍しくちびが頭をもたげて私を見ました。その後、苦しそうにしたので、撫でてさすって声をかけ続けました。
ちびは、少し呼吸を荒くして体を動かし、そして徐々に呼吸が小さくなり止まりました。少しの間があり、心臓がドクンと大きく動き、そして止まりました。
本当によく頑張りました。
静かに横たわるちびを見て
「あぁこれでちびは苦しみから解放された」
と涙が出ました。
それは色々な感情の入り混じったものでした。
お空には、震災で先に虹の橋を渡った仲間がたくさん待っています。
きっと今頃、走ってじゃれて一緒に遊んでいると思います。
ちびのお骨は、いつか浪江にも持っていこうと決めています。
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